カテゴリ:上町地区( 3 )

上町3/3

今回は、多賀山。
多賀神社、桜公園、東郷元帥墓地と銅像、東福寺城跡などがあります。

多賀神社と多賀山からの眺め
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鹿児島市清水町にある公園で、錦江湾や桜島、鹿児島市内を一望できる場所。
桜の開花時期は、多くの花見客で賑わいます。
南側の麓には、石橋公園や薩英戦争の砲台跡など祇園洲公園があります。

東郷元帥墓地と銅像
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東郷平八郎の銅像は、市街地と錦江湾を見下ろすように建っています。
弘化4年(1847年)12月22日に鹿児島の薩摩藩士の四男として生まれました。
下加治屋町郷中の出身。
15歳の時薩英戦争に出陣し、イギリス軍艦との力の差をまざまざと見せられ海軍を志す。
維新後海軍の留学生としてイギリスに学び、帆船ハンプシャー号で世界一周を体験。
明治時代の日本海軍司令官として日清・日露戦争の勝利に大きく貢献。
日露戦争で連合艦隊を率い、日本海海戦で当時屈指の戦力を誇ったロシアバルチック艦隊を大胆な敵前回頭戦法(丁字戦法)により一方的に破って世界の注目を集めた。

東福寺城跡
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東福寺城は東郷墓地から鳥越トンネルあたりまであったようです。
南北に伸びた山で、東・西・南は絶壁と急斜面で天然の山城。
天喜元年(1053)藤原純友から4代目になる長谷場永純が築城。
日向、大隅、薩摩で初めての城だったといわれています。
南北朝時代(1336-1392)この城をめぐって激しい戦いが行なわれ、北朝方の薩摩の地頭島津家5代貞久が興国4年(1343)東福寺城にこもる長谷場・矢上氏一族らを攻め落としたそうです。
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by hana_dan6 | 2011-10-25 06:26 | 上町地区

上町2/3

今回は、福昌寺の2回目。

福昌寺は、キリスト教との関連のある寺でもあります。
鹿児島は、1549年に日本に初めてキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルの渡来地。
鹿児島滞在中は、島津貴久の命によってこの福昌寺が宿所として使われていたそうです。
当時の住持であった15世忍室和尚とかなり親しくしており、宗教論争を交わしていたそうです。
ザビエルは書簡で忍室のことを激賞していたとか。
また、歴代藩主の墓所の左奥に、キリシタン墓があります。
1870年の浦上四番崩れ(隠れキリシタンへの4度目の弾圧)の際、浦上(長崎市)のキリシタン収容所がこの福昌寺の跡地に建てられていました。
375人が収容されていたが、この地での待遇はかなり良かったらしい。
浦上に帰れるまでの間に病死した58人の墓が、キリシタン墓として残っています。
円柱のような墓石は、僧侶の墓。
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次回は、多賀山。
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by hana_dan6 | 2011-10-24 06:36 | 上町地区

上町1/3

今回は、鹿児島市池ノ上町にある福昌寺。

福昌寺(ふくしょうじ)は、鹿児島市街地北部の上町地区にあります。
玉龍山福昌寺は、室町時代のはじめの頃島津家第七代元久が菩提寺として建てた寺で、曹洞宗の一大寺院。
江戸時代に書かれた『三国名勝図会』によると、大伽藍を備えた南九州屈指の大きな寺で、最盛期には1500人の僧侶がいたそうです。
明治2年の廃仏毀釈により破壊され、廃寺となりました。
また、寺の裏手は広大な墓地で、薩摩藩主島津氏歴代の当主が奉られています。
戦国期の義久、義弘、歳久、家久や、幕末期の斉彬、久光など、歴代当主の墓地群のみが残っています。
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現在、寺の跡地には、鹿児島市立鹿児島玉龍中学校・高等学校が建っています。
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by hana_dan6 | 2011-10-23 06:11 | 上町地区